「あれ?なぜ働くのがイヤになったんだっけ?」と、時々セミリタイアしたかった理由をすっかり忘れてしまうことがあります。
喉元過ぎれば熱さを忘れるのごとく、ワタシはすっかり癒されて、痛みを忘れてしまったよう。
現在一応バイトは週3回、しかも3時間の仕事ですから、仕事でストレスはありません。この生活環境はありがたいことと思いつつも、慣れてしまうと平和ボケしてしまうらしい。
社会に出て働くストレスが段々キツなってきたのは30代後半の頃からでした。
その頃はまだストレスを跳ね除けるエネルギーはあったけど
しかし、それもやがて限界がやってきて真剣にセミリタイアを考え始めるようになったのは42歳になった頃だったと。
今から10年前、ワタシの勤めていた会社は女性が60歳まで働き続けられるような雰囲気ではなかったです。
そしてそれまで自分の気力が持たないことも自覚してました。
この状態で流されて勤め続け、50歳を過ぎてからあたふたしたら目も当てられないなと。
これは今から考えておかないとダメだわ…と密かにアーリーリタイアすることを計画。
とはいえ、考えても結局は資金次第。運良くほどほどの年齢で願いは叶いましたが。
願いが叶ったから感謝しなければと思うのですが、最近「存在給」についての本を読んだところ、そんな謙虚さは自己評価を下にみることになるのでかえって運を下げるとありました。
「私だから、当然のこと」
「私だから、役に立とうが立つまいが貰える」
「私は豊かに暮らすことは当然」
「私には価値がある、何もしなくても価値がある」
笑って好きなことして生きること、
存在給が上がれば、ラクすればするほど、収入は上がっていく。
というものです。でもこれは一つ間違えれば傲慢になるのではないか?
そういうわけで、心の中で密かに自己評価を高く持ちたいと思います。ワタシだから当然なのよと。。。