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父の余命を宣告されて、さすがに気落ちしました。
痛い痛いと言ってる様子を見て、なんでこんな事になったのよと本人に言いたかったけど、ぐっと押さえました。これは誰のせいでも無い。
何しろ89歳ですから逝ってしまう事については寿命だし、仕方ないこと。でも痛みのあまり体を動かす事もなかなか出来なくてという情けない姿は見るのに忍びなかった。
最期まで、身近で観てるのがシンドイなと落ち込んでました。
そして昨日、4日ぶりに実家に行ってみたら父は普通に起きていて、随分と落ち着いてました。食欲も凄くあってびっくり。
こう言っては何ですが、食欲が有るうちは人間も猫もまだまだ大丈夫、そうそう死にませんよ。
どうやら処方された強い痛み止めが効いて楽になったらしい。前は痛みで食べる気にならなかったんですね。
痛みの苦しみが無ければ小康状態のまま、案外ゆっくり病状は進むかもしれません。
それにしても今回の父親の事をキッカケに、自分もいつかは迎えるだろう死のことをちょっと考えました。
まだ先の事と思ってても、寿命はせいぜいあと20年、おまけがあればプラス10年か。当たり前に日々生きていると時間は無制限にあると勘違いします。
イライラしたり、不快になって怒ったりするのは時間の無駄遣いだし、限られた時間だから、大切な人には愛情と感謝を表して、良心に従って正しく生きたい。
そして楽しめる事は目一杯やっておくべきだと思います。
そうやって残りの人生を過ごせば、いつ死んでも悔いは無いかな。心穏やかにあの世へ行けるんじゃないかなと思った次第です。