牛に引かれて善光寺参りってどういう意味か?

「牛に引かれて善光寺参りー」という言葉は聞いた事あるけど意味は知らず。
せっかく行くのだからとちょっと調べてみました。

昔々信濃の国に心の貧しい老婆がおりました。ある日軒下に洗濯した布を干していると、どこからか牛がやってきて、角に布を引っかけて走り去ってしまった。

こら待てーと、その牛を追いかけて老婆はとうとう善光寺まで来てしまう。しかし牛はどこかへ消えてしまい、代わりに老婆は仏様の光明に照らされたのです。

それからは信仰心に目覚め、仏さまを信じてめでたく最後は極楽往生を遂げました。

さて、実は牛に見えたのは、小諸の布引観音様の化身であり、老婆のように信心のない女性に、善光寺の仏さまはお慈悲をかけ、導いてくださったのだという話。

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心が荒んでいては死んでも救いがないという事か

なるほど、そういう意味だったのかとやっと合点がいきました。仏はお優しくて誰にでも救いの手を差し伸べますよということですね。

初めて訪れた善光寺、千葉の成田山新勝寺の方が敷地が広いものの、なかなか風情のある素敵なお寺です。外国人もチラホラ来てます。

門や本堂の他、至る所が桧皮葺の屋根なんですよ。香取神宮と同じひわだぶきの屋根。お金かかってもこの屋根の方がいいですね。

 

さて善光寺の参道から行くと仁王門があり、左右に仁王像があります。その迫力と大きさにあんぐり。
これほどのものは今まで見たことが無いかも…波打つ筋肉がリアルでうっとりする。


これを彫ったのは高村光雲、米原雲海とある…
光雲、雲海と云えば、さすがにこの名前は聞き覚えがありますよ。

仁王像の足元や裏側にも仏像があったけど暗くて良く見えず、あー残念。
ちなみに「智恵子抄」を書いた詩人の高村光太郎の父親が高村光雲なんです。

有名な作の仁王像を見て、この美術的価値はいくらだろうなどと要らぬ事を考えてしまうわ。

善光寺に行ったら仁王像を見るのをお勧めします。


本堂の奥へは有料で券を買うと色々な仏像等が見られるらしいです。

ワタシは無料の範囲でいいやと、本堂をウロつく。

ちょうど16時の鐘がなり、そろそろ帰路につきました。

善光寺は有料駐車場しかないようです。ワタシはここから1キロほどの宿泊するホテルの駐車場に止められたので良かった。

神社仏閣は時々、田舎で、なぜこんなところなのに…と駐車場が有料なところがあるんですよね。500、600円とはいえ何だか釈然としませんね。

ユウ

2014年7月に東京から千葉県へ移住と共にセミリタイアしました。中古住宅を購入し猫4匹に囲まれ暮らしています。週3でアルバイトをしています。

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