供養で大事なのは思う心、世間体じゃないの…

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すっかり忘れてましたが、二年前の今日が父親の葬儀で、二日前が命日でした。

母親が、あの日も雨で寒かったね、と言い出して、アラそうだったわと思い出しました。

だったらお線香を焚いてあげればよかったわと言ったところ、母は吐き捨てるように、そんなもん要らないよと。

死して尚、憎しみは消えてないんですよー、ダメだこりゃ。

さてここからは別に信じなくていいお話になります。

スピリチュアル的には結婚は人生の修行なので、結婚した途端にチーンとゴングが鳴って試合開始となる。

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辛い経験をすれば学びになるから…

 

ウチの母親のように非常に辛い修行が必要な人は、わざわざ相性の悪い相手が夫になるわけですよ。

辛い経験から学びを得るべきだったのに、ウチの母は恨みつらみしか無い。これだと全然修業になってないので、来世も同じ経験をするのは免れませんね。

それとは真逆に、相性の良い相手に恵まれて結婚生活が幸せな人は修行の要らない人だということ。いやー羨まし過ぎます。

ワタシも来世はそうありたいなと。

 

多くの人は二年経って三回忌法要などを行うのでしょうが、これはやらないといけないものでは無いですよ。

 

供養で大事なのは思う心なので、世間体のためやりたくも無いのに法事をする必要は無し。

法事をやらなければというのはそれが商売の人と、残された遺族がやりたいならばやったほうがいいという程度。

亡くなった人は法要してもしなくても、それでどうなるとかいうことはありません。

 

 

今年、成田山新勝寺で二千円の写経セットを買って来ましたが、まだ書いておらず。

写経してお寺に奉納すれば法事と同じになります。

手元にあるけど、どうもまだ写経する気持ちにならない。これは父親に対して、まだ時期じゃないということなのかなと。

ワタシもまだ許す気持ちになってないようです。

 

コメント

  1. まいたけ より:

    ユウさんのお父さんが亡くなられてから、2年も経ったんですね。
    2年も経ったのに、お母さんが(ユウさんも?)まだ許していないなんて、お気持ちはわかりますが、そろそろお許しになられてもいいんじゃないかと、余計な心配をしてしまいますね。
    うちは、父が亡くなって3ヶ月が経ちましたが、毎日恨み辛みを言い続けていた母も、今じゃ毎日仏壇の写真に向かって、挨拶なんかしてますよ。笑っちゃいます。
    姉や私も許すことにしたら、だいぶ気が楽になりました。
    写経いいですね。いつかやってみたいです!

  2. ユウ より:

    ウチの家族は父の悪口しか言いませんからねぇ、悪口も供養になるので、忘れられるよりいいそうです。

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