何が幸せかなんて人それぞれで、他人が判断することじゃ無い

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直接の友人では無いけれど、ワタシの友人の中学時代の友人で、世間で云うところの完璧なスペックの同年代女性がいます。

東京で住みたい街ナンバー1の吉祥寺の一戸建てに住み、子供は二人。ご主人は一流企業にお勤めで通勤の送迎車があるくらいの役職なんだとか。自身も独身時代は堪能な英語力を活かし有名企業の広報課にお勤めだったそうですヨ。全くこういう人がいるなんてスゴイワ~、ワタシなんて一つも持ってないワヨ。

まぁでも、ここまで人も羨むような身分の方に対して、今さら妬みそねみの気持ちはありません。

若い頃は要領よくやってる人を見るとイラッとしたもんだけど、今このトシまで人生経験してくると、人を目に見える表面だけで判断する事は不遜な事だとわかってきました。一見、完璧なスペックの人にみえても、本人は本当に幸せなのかどうかなんてわかりませんて。

反対のケースで、今のバイト先で17歳の夜学の高校に通ってる女の子がいます。親が離婚して父親不在の母子家庭なんだとか。まだ小さい妹もいるので自分も働いて家計を助けているらしい。
一般的には、普通に高校に通ってる年頃なのにお金の苦労をして可哀想にもみえるけれど、本人は苦労と思っているかどうかはわからない。貧乏生活でも家族仲良く暮らしてて結構、幸せかもしれない。

いくらまだ若い10代のコだからといって「可哀そう~」と簡単に同情するのは上から目線で見てるようで、失礼事だなと思います。

 

 

何が幸せかなんて人それぞれで、他人が判断することじゃありません。世間には他人のことをアレコレ言いそやす人はいるけどそんなの無視。

ワタシも人が羨むようなスペックは一つも無いけどね、それなりに満足してて、ソコソコ幸せデスヨ( ^ω^)「自分を幸せにできる人は、人も幸せにできる」とあの加藤諦三先生も仰ってますから、仲良く暮らせる老後のパートナーを見つけ、楽しく暮らしたいな~と思いますね。

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