親の寿命とワタシの生活設計

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セミリタイアに突入した当初は、会社員生活にほとほと嫌気がさしていたので、もう金輪際働きたくないと思ってました。万一困ったらバイトして稼げば何とかなるかと最後の苦肉の策として考えてただけ。

しかし毎日が日曜日な生活も段々持て余し、体力も気力もあるワタシの年齢では、やっぱり少しは誰かと話したり、社会との接点は有った方が健全のようです。深からず浅く、という感じの人間関係で。

そういうわけでパートを始めたけれど、1年半だけ社会から離れていただけなのに、何だか凄くギクシャクする。

多分、しばらく身も心もユルユルで生活していたせいで、なかなか労働する態勢に切り替わらなかったのだと。1年半も無職だと、初めは少々しんどい状態になります。

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寿命は読めません

実はちょっと最近、60歳になる頃や、先々をふと考えるのです。多分、親が存命中ならば生活は変わらず、今のパートも続けてると思います。

有難いのかどうか、ウチの父親頭は呆けても身体の方はそう悪い所もなく、早晩死ぬことはなさそうで、どうやら2度目の東京オリンピックを観るという図々しいことになりそうな予感。。。

とはいえ、ワタシが還暦になる6年数か月後までには見送らせて欲しいわ。だって葬式やら、相続やら色々死亡してから煩雑な手続きがあるので、こちらも体力と気力があるうちの方がいいんですよ。

80歳の母親は今はピンシャンしています。サプリも飲みまくってるし、母の寿命も全然読めません。親の寿命次第でワタシの生活設計も変わるので、それでちょっと、どんなもんかなぁと考える今日この頃ですよ。

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